2013年03月09日
家族問題の背景
現代日本の家族像は、戦後以来、大きな変化を経てきました。
戦前は、家父長制が一般的な家族の形態を築いており、一家は父親によって統率される大家族でした。
戦後になると、民主的な社会の下でみんなが自由を獲得したような傾向になり、大家族の影響を受けない核家族が増えていきました。
当初は、これが進歩的なモデルであり、国民にとって理想的な形と思われました。
核家族になれば、夫婦は好きなように生活スタイルを決め、子育てについても自分たちの方針を周囲から干渉されることが少なくなりました。
日本の高度経済成長は、夫婦共働きによる中流家庭を一般化し、それまでになかったほど物質的、経済的に豊かな家庭像が現れるようになったのです。
女性の社会進出もめざましく、それまで家庭の主婦に収まっていた女性たちが、自立を獲得できる時代にもなりました。
このように、戦後の日本社会は、進歩と発展に向けて急速に成長を遂げていきました。
ところが、西洋的な核家族のモデルを表面的に取り入れたために、土台がなく、不安定な家庭の在り方ができ上がってしまったともいえます。
子どもの家庭内暴力という問題は、このような家族の脆さを一気に露呈したといっても過言ではないでしょう。
子どもが葛藤なく、健全に成長していくための土台が、そもそも築かれていなかったともいえるのです。
戦前は、家父長制が一般的な家族の形態を築いており、一家は父親によって統率される大家族でした。
戦後になると、民主的な社会の下でみんなが自由を獲得したような傾向になり、大家族の影響を受けない核家族が増えていきました。
当初は、これが進歩的なモデルであり、国民にとって理想的な形と思われました。
核家族になれば、夫婦は好きなように生活スタイルを決め、子育てについても自分たちの方針を周囲から干渉されることが少なくなりました。
日本の高度経済成長は、夫婦共働きによる中流家庭を一般化し、それまでになかったほど物質的、経済的に豊かな家庭像が現れるようになったのです。
女性の社会進出もめざましく、それまで家庭の主婦に収まっていた女性たちが、自立を獲得できる時代にもなりました。
このように、戦後の日本社会は、進歩と発展に向けて急速に成長を遂げていきました。
ところが、西洋的な核家族のモデルを表面的に取り入れたために、土台がなく、不安定な家庭の在り方ができ上がってしまったともいえます。
子どもの家庭内暴力という問題は、このような家族の脆さを一気に露呈したといっても過言ではないでしょう。
子どもが葛藤なく、健全に成長していくための土台が、そもそも築かれていなかったともいえるのです。
2013年03月09日
家庭内暴力について
家庭内暴力のニュースが頻繁に報道されるようになってから、ずいぶん久しくなりました。
これも、家族療法では大きなテーマになる問題です。
昔は家庭内暴力とえば、権威的な父親が母親や子どもに対して暴力を振るう、といった行為が一般的でした。
しかし、現代になってからは、子どもが親に対して暴力を振るうという図式が顕著になっています。
家族療法においても、親が相談に訪ねてきて、息子や娘に暴力を振るわれている、と打ち明ける例が後を絶ちません。
それも、親だからと手加減するのではなく、時に身の危険を感じるほどの激しい暴力となって現れることがあるのです。
特に、息子が中学生・高校生と体が大きくなるにつれ、父親が応戦しても負けてしまうことがあります。
こうなると、子どもの暴力はとどまるところを知らなくなります。
一方で、子どもの担任の先生に尋ねると、その子どもは模範的な「良い子」である場合が多く、傍目には親に暴力を振るうようには見えないことが多いのです。
このような家族関係である時、家庭は情緒安定機能を果たす本来の家族ではなく、機能不全を起こしているといえます。
これらの家庭の両親は、決して子どもを甘やかしたわけではなく、両親ともにしっかりと働いて家庭を成立させてきたといいます。
それにもかかわらず、なぜこのような事態が起こってしまうのでしょうか。
そこには、現代の日本ならではの背景が横たわっているといえます。
この問題は決して特殊なものではなく、私たち現代日本人が等しく抱えている問題ともいえるのです。
これも、家族療法では大きなテーマになる問題です。
昔は家庭内暴力とえば、権威的な父親が母親や子どもに対して暴力を振るう、といった行為が一般的でした。
しかし、現代になってからは、子どもが親に対して暴力を振るうという図式が顕著になっています。
家族療法においても、親が相談に訪ねてきて、息子や娘に暴力を振るわれている、と打ち明ける例が後を絶ちません。
それも、親だからと手加減するのではなく、時に身の危険を感じるほどの激しい暴力となって現れることがあるのです。
特に、息子が中学生・高校生と体が大きくなるにつれ、父親が応戦しても負けてしまうことがあります。
こうなると、子どもの暴力はとどまるところを知らなくなります。
一方で、子どもの担任の先生に尋ねると、その子どもは模範的な「良い子」である場合が多く、傍目には親に暴力を振るうようには見えないことが多いのです。
このような家族関係である時、家庭は情緒安定機能を果たす本来の家族ではなく、機能不全を起こしているといえます。
これらの家庭の両親は、決して子どもを甘やかしたわけではなく、両親ともにしっかりと働いて家庭を成立させてきたといいます。
それにもかかわらず、なぜこのような事態が起こってしまうのでしょうか。
そこには、現代の日本ならではの背景が横たわっているといえます。
この問題は決して特殊なものではなく、私たち現代日本人が等しく抱えている問題ともいえるのです。
2013年03月09日
家族とは何か
そもそも、家族とは一体何でしょうか。
これは、社会学においても定義が難しいとされています。
私たちが家族と思っている共同体は、じつは日本という国の現代における家族制度の一形態にすぎません。
時代や国や地域によって、家族という概念はちがってくるといってもいいでしょう。
家族社会学では、家族のメンバー間の近親性、家を中心とする生活の共同性、その日常性などを、家族というものを規定する要素として考えています。
また、親子関係の一環である育児や大人の情緒安定機能を、家族に特有の機能として挙げている学者もいます。
しかし、家族療法の視点から家族について考えていく時、このどれかの要素が欠けている場合が多いことに気づくでしょう。
特に、大人にとっての情緒安定機能がうまくはたらいている家族というのは、稀であるともいえるところもあるでしょう。
家族によって問題や葛藤が起こり、苦痛を受けることも珍しくはありません。
そして、この家族機能の崩壊が、現代社会では大きなテーマといっても過言ではないのです。
現代の日本社会では、核家族が主な形態になっています。
ここでは、二世代間の親子関係や夫婦関係が築かれることになりますが、成員メンバーが少ないことで、直接的に衝突する
場面が避けられなくなっています。
そうしたことが、家族療法のニーズが高まっていることの背景ともいえるでしょう。
昔は祖父母や親戚、近所の人たちが介入することで丸く収まっていた家族関係が、それぞれが孤立しながら対立することで、より複雑化しているともいえるのです。